「LAで」、品切れのTシャツ

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    新宿に買い物へ行きました

     

    お目当てはTシャツです、

     

    ジムで筋トレするとき用として、

    比較的大きめのシルエットで、

    グレーの色で、

    かっこいいプリントがされた、

    ストリート的なものを求めていました

     

     

     

    私は、こんなブログを始めるだけあって、

    他人と直接会話するのはあまり好きではありません

     

    アパレル店員なんて

    「尚更です」

     

    申し訳ないですが、

    話しかけてこないでオーラ出しているのに、

    私が服を選んでるときに話しかけてくるのは大変に困るのです

     

     

     

    特にほら、

    彼らの話しかけ方って、

     

    いかにも

    「わたしの興味が、今手にしているこのTシャツに100」

    みたいに話しかけてくるでしょう

     

    いやいや、

    興味「7」くらいしかありませんよ

     

     

     

    こちとら、

    興味ないけど、

    せっかく見に来たんだし、

    「時間つぶしにでも見てやるか」

    で、手にしとんねん、

    何を勘違いしとんねん、

     

    と不慣れな関西弁で、心でつぶやくのです

     

     

     

    そうした面持ちの中、

     

    今回の新宿ショッピングで、

    アパレル店員にかけられた一言

     

     

     

    「そちらはLAで品切れのTシャツでございます」

     

     

     

    ↓わたしの心の声

    ほうほう、いつも通りや、

    こっちがこれに対する興味100だと勘違いしとんねん、

    いやいや、7やて、

    まあ、いつも通り透かしてやろうじゃないか

     

    ↓実際の声

    「あッ、そうなんですね〜」

     

    ↓心の声

    いや待てよ、何がLAで売り切れだよ

    「新宿で売り切れてねえじゃん」

     

     

     

    そうなんです、

    店員さんのこの発言の主旨

    紐解きますと、

     

    「LAで売り切れるほどに」この商品は素晴らしいんですよ

    とアピールしてるのに対し、

     

    結果、新宿で売り切れてないのに、

    そのせいでセール中なのに、

    つまり、新宿で「売れ残っているのにも関わらず」

     

     

    その情報を押してくるのです

     

     

    カリフォルニアロールか!!

     

    こちらの寿司はLAで即日完売の

    「カリフォルニアロール」でございます

     

     

     

    いやいや、

    「築地で一人も買わねえよ」

     

     

     

    TPOに合った、宣伝文句というのを、

    今後はよろしくお願いいたします。

     

     


    親と子は「1番近い距離にいて、1番価値観が合わない」存在

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      思春期、

      どうしても部屋にテレビがほしい、

      親の部屋からテレビを盗み出し、

      家族総出で大喧嘩した事があった、

       

      俺はなんでこうも親に反対してしまうんだろう、

      親の言っていることを「間違っている」と思ってしまうんだろう、とよく考えていた

       

       

      一緒に暮らしている仲なのに、

      血縁で繋がっている仲なのに、

       

       

      疑問は消えなかったけれど、

      成長して、成人式も過ぎ、

      物事を俯瞰で見られる様になったときに、

      不都合な事実に気づいた

       

      「俺は親と住んでいるのではない、ただのおじさんと、おばさんと生活しているのだ」

       

       

       

      まずは、逆の理論から考察してみよう、

      そもそも価値観が合うってなんだろう?

       

      俺が思う価値観が合うとは、

      「その日着る服が、頭から足まで同じ事」

      だと思っている、

       

      その人の色の好み、形の好み、

      ひいては、その日の気温の感じ方、

      雨を気にするかどうか、「感受性」というものまでも服装に関わっているからだ、

       

      後は、それがいかにレベルが下がり、

      「二股を、右に行くか、左に行くか」

      その判断が一致することだと思っている、

       

       

       

      つまり、この考察から見れば、

      価値観が完全に合う人なんて、

      「この世にいない」と言うことだ

       

      では、なんで、「みんな価値観が合う」

      と言って、結婚するのだろう、

      一緒に住んでいるのだろう、

       

      それは「合っているのではなく、合わせているから」

      タオルのたたみ方、テレビの大きさ、料理器具、その日食べるもの、

       

      思えば家族というのは何でも合わせている、

      「元から価値観が合う人同士ではないということだ」

       

       

       

      でもそれにしても、

      「何で俺だけ、」思春期はそう思う、

      「何で俺だけ、"特に"違うのだろう」と、

       

      そんな時は、

      親がそもそもなんで結婚したのか考えてみるといい、

      父親と母親は、

      「この世で最も価値観を合わせられる人間だから」結婚しているんだ

       

      そこに産まれたのが俺だ、

      この家にいる人間で唯一、

      俺は価値観を合わせにはいっていない、

      「価値観が合わせられるから」

      ここに居るわけではない、

       

       

       

      だから、「合わなくて当然だ」と分かる、

      気にしなくていい、

      ちょっと安心した、

       

      それでも、「なんでこんなにも合わないんだろう」という疑問は耐えない

       

       

       

      だから今度は「価値観がなんでズレるのか」について考えよう

       

      そうすると、「時代のズレだと分かる」

      さっきも言ったように、

      「価値観は、その日着る服、で合っているかどうか分かる」

       

      バック・トゥ・ザ・フューチャー世代が、

      野ブタをプロデュース世代と、デートできる服が違うように、

      時代によって、美徳は変わる

       

      「みな実」と言う名前から見て、

      「さち代」という名前が古く感じ、

      「らいむ」という名前が、"キラキラ"して見える様に、

      美徳は変わっていく

       

      「さち代」から見たら、

      「みな実」と、「らいむ」の"光る"具合が50歩100歩であるように、

      価値観は、時代を経て、「いつだって」変わっているということだ

       

       

       

      こうすると、

      親と子の20-40の年齢差が価値観の違いを産まないわけがなかろう、

       

      俯瞰で見て家族というものは、

      近所のおじさんやおばさんレベルで価値観が合わない人と、

      ただ血縁関係があるという「無理やりな理由で」

      社会に出るまで一緒に、生活しているのだと気が付ける、

       

       

      「血縁だから」考え方が合っているなんて理想も、

      存在しないんだと分かる、

      たけど、だからといって、

      諦めようという話ではない、

      「だから、皆それを受け入れた上で生活していこうよ」という話だ、

       

       

       

      "受け入れた生活"ってのは、

      「質問し合う家族関係だと思う」

       

      質問して、「相手の価値観を知ることだ」

      食器のかたし方、テレビを見る時間、

      意見が対立したのなら、

      「お互いの意見を聞きあい、歩みよればいい」

       

      親は、価値観が一緒なはずだと思い込み

      子に「強制することも無いし」、

      子は、親と価値観があっていないからと、

      親を見捨てて「自暴自棄になる必要もない」

       

       

       

      ウチの家庭は、思えば、

      親が質問をしてくれない家庭だったとは思う、

       

      実家から、社会に出て3年、

      ウチのオカンは、

      「俺がオムライスを好きだと、24年間思い込んでいる」

       

      でも、俺はオムライスが好きではない、

      オカンが履き違えている、

      何故、オカンが履き違えているのか、

      俺の価値観が定着してから、

      「あなたの好きな食べ物は何?」

      と真剣に聞かれたことが1度もないからだ

       

       

      俺の好きな食べ物は、

      松茸のお吸い物や、

       

       

      だから、母親よ、

      俺が実家に帰るときは、

      「オムライスを作ろうか?」

      ではなく、

       

      「松茸のお吸い物を淹れようか?」

      が、一番心地よいということだ

       

      それが俺の価値観だ、

       

       

       

      だから、俺が親になったときには

      子供にしっかり質問をしよう、と思う

      無駄がないように、

       

      この考えを以てして、

      1番有益なことは、

      「親と子は、1番近くにいる、1番価値観が合わない存在」

      と気づけたことだ、

       

       

       

      だから、思春期なんて、当然、

      理論的にある、

      でも、理論的だからこそ、

      少しでも回避する方法がある、

      「質問すること」

      「質問した結果にお互い合わせていくこと」

       

      そうして「合わない価値観を合わせていこう」

      それが大事さ

       

       

       

       

       

       


      周知に「レインボー」ブリッジ、意味は「無いんよー」

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        またもや腑に落ちない事象が発生しました、

         

        コロナの期間中、様々な腑に落ちていってくれない物が、登場し、

        登場する度に私達の目の前で、ふわふわし、停留したまま、

        まるで呪縛霊のように、

        累積方式で皆様の周りを漂っている事と思います

         

        例えば、「濃厚接触のネーミング」然り、

        「アベノマスクのサイズ感」然りです、

         

        こういうのは、ただただ、

        「なんでやねん!」

        と突っ込めばいいのですが、

        最後の最後にやってきた、

        「大きな」腑に落ちない、

        「大構造物の」腑に落ちない、

         

        こればかりは、私の呪縛霊にしておくには

        大きすぎますので、

        ここで発散させていただきます、

         

         

         

         

         

         

        では、はじめましょう、

        「コロナ達成度周知のための、レインボーブリッジの点灯って、意味ある??」

         

         

         

        そもそもなぜこのような事が起きたかといえば、

        「大阪モデル」というものが発端だったと思います、

         

        詳しくは知らないですが、

        大阪のシンボル(?)である太陽の塔が、

        「青、黃、赤」と、

        あたかも信号のように色が変わるそうですね、

         

        それによって見た人が、

        コロナ対策の達成度を知れるという意図でやったわけですね、

         

        正直この時点でスルーはしてました、

        なぜなら、「遠い国の話だから」

        大阪のことは大好きです、

        大好きですが、関西弁の方と普段お会いすることもないですし、

        他人事と考えていました、

         

         

         

        そんな中、なんと、

        その"流行"(ハヤリ)が東京に来ました、

        なんと、レインボーブリッジを「自粛宣言解除」に向けたこの佳境で、

        コロナ対策の達成度に応じて点灯させるというのです!

         

        私とレインボーブリッジの関係は、

        6ヶ月前に始まります、

        私はタクシードライバーの仕事してます、

         

        私は、初めて通ったとき知りましたが、

        レインボーブリッジの、

        「いわゆる、レインボーブリッジな」部分は、

        実は高速道路なんですよね、

        点灯されるとき、そこを通るようなお客様が乗ると、

        いつでもワクワクしてしまいます、

         

        それはさておき、

        この仕事を通して、というか、

        レインボーブリッジの通過を、「通して」

        レインボーブリッジは、

        「都内のごく一部の人からしか見えないぞ!」

        と気がつくことができます

         

         

         

        仮説を立てるとして、

        このレインボーブリッジの点灯というのが、

         屮縫紂璽垢鮓ない人に、周知させるため」

        ◆屮縫紂璽垢鮓る人に、イベント性を持たせて、情報に注目させるため」

         

        と、2つの観点の目的が挙げられるしましょう、

         

        ,砲弔い討蓮

        いや、そもそも、

        ニュースよりも、レインボーブリッジの方が見づらいですやん、

        レインボーブリッジと言うものが、

        都民が私生活を送るだけで、

        誰からでも見える位置なら話は別ですが、

        見えませんやん、

         

        あと、例え、

        ネットでレインボーブリッジの色を見たとしても、

        それがパッと見、

        何月何日のレインボーブリッジか分かりませんやん、

        「あ!今日は虹色ねっ」が、

        昨日の色かもしれませんやん、

        という話だと思います、

         

        こうなってしまったら、

        そうです、

        ひとりバック・トゥ・ザ・フューチャー状態です

        陥りたくはありません、

         

        デロリアンもらえるなら良いですが、

        もらえません

         

         

         

        はたまた、

        △砲弔い董考えてみると、

        いやいや、ニュース見てる時点で、

        レインボーブリッジの色よりも、

        先に、コロナ対策の進捗分かりますやん、

        100歩譲って、

        進捗分かったその先の、「イベント性をもたせるため」なら

        この、レインボーブリッジの発色、

        クリスマス時期と被ってんですよ

         

        いや、かえろかえろ!!

        コロナ専用のライトアップにしてッ!!

         

         

        こんなもんね、大問題ですよ、

        幼稚園の年間行事で、

        ハロウィーンと、入学式の

        ライトアップの色一緒にしてるようなもんですよ

        この使い古し感、

        なんか、とってもきれいな光景なのに、

        愛着が持てません

        私達が一番大好きな「特別感がありません」

        保護者からのバッシングもさぞ、

        激しいことでしょう

         

        いやいや、半年前のライトアップ使いまわして、

        「あたしら、タイムスリップでもしとるんですか??」

        になるわけですよ、

        こちらはさながら、

         

         

        みんなでバック・トゥ・ザ・フューチャー状態です

         

         

        こんな感じで、

        どんなに、論理的に考えても、

        「レインボーブリッジを点灯する意味」

        がわからないので、

         

        何で点灯するのか調べるんですけど、

        根拠は断定されてないんですよね、

         

        「達成度に応じて、点灯する」

        と、ニュースでやるだけで、

        「なんで」するのか言われてないんですよ

         

        本当に腑に落ちない、

        でも、腑に落ちないけど、

         

        「綺麗だから文句言いたくない」

         

         

         

        なんでしょう、この

        美人が悪い事しても「憎めない感」、

        いやむしろ、悪いこと、や、無意味なことしてるのに、

        「とりあえず顔見せてくれてありがとう感」

         

         

         

        結局、

        「人は見た目が100パーセント」といいますが、

        「実は、橋も見た目が100パーセント」なんですよね、

        点灯に意味はありませんが、綺麗だから良いのです

         

         

         

        いやあ、

        こんなにも大きな腑に落ちない、

        「大(だい)腑に落ちないが」

        自粛解除寸前に待っているとは思いませんでした、

         

        今回は、自粛活動の終焉を、

        レインボーブリッジ刑事が、

        その色を「言語にして」、示してくれているわけですが、

         

        そんな彼が、

        延期されたオリンピックの実況に変わって

        こんな事を言わないことを願っています

         

        「レインボーブリッジ自粛解除できませーーん」

         

         

         

         

         

         

         

         

         



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